アカデミーキャンプより、謹んで新春のお慶びを申し上げます。
これは M. レズニックの著書『ライフロング・キンダーガーテン』で紹介されている話です。MIT メディアラボの教授であるレズニックは、2013年のへび (巳) 年、訪問先であるデンマークの LEGO 社で中国の清華大学の当時の学長、陳吉寧と面会し、陳が考える清華大学の最優先課題が「x学生」を増やすことだと知りました。「a学生」というのもいて、彼ら・彼女らは「成績で aを取る」学生です。a学生は与えられた課題に取り組み、困難を自分で克服してゴールを達成できます。一方、x学生は、a学生に比べるとハチャメチャで、既存の体系で評価できません。新しい発想で問題を自ら創り出すのが x学生で、リスクを負ってチャレンジします。これからの世界に必要なのはむしろ x学生であり x思考だ (2013年のへび(巳)年当時)、というお話です。
そうですね、2025年現在、a思考は自動化できるとさえ言えます。アカキャンの代表理事であるサイケは早稲田大学の大学院の教授ですが、同僚との合同ゼミで、自分が受け持っている統計学の科目で大学院生に出題している課題を (間違って) OpenAI 社の生成AI である o1 pro mode に解かせてしまいました。「それ」は試行錯誤している様子でちょっと時間がかかったものの、見事に解けました。
その時サイケは「普通の ChatGPT に解かせると間違えるんだよね」みたいな風にも話していましたが、そこが大事です。彼はどうして、AIによる解答が合っていたり、間違っていたりすることが分かるのでしょうか。教授だから当たり前?いえいえ、教授なんて大したものではありませんが、まあ確かに、ある種のトレーニングを受け続け (自分に課し続け) てきた人間であるとは言えます。それは、a思考のトレーニングです。自分も a思考ができるから、a思考を自動で行っている相手が正しい道筋で考えているか、そうでないかが分かるのです。
ってことは、こういうことかな?とみなさんは思うかも知れません。人間は x思考ができることに価値があるけど、AI に自動で a思考をやってもらうためには自分も a思考ができなければならない。そう言いたいわけ?と。
後半はその通りだと思いますが、問題は前半です。おそらく近いうちに、AI にも x思考が自動でできることが分かってくるはずです。人間にできて、AI にできない種類の思考は無いということです。
え、じゃあ人間の思考には価値がないということ?ある面では、そのことを受け入れる覚悟は必要でしょう。でも、狼狽(うろた)える必要はどこにもありません。自動車を運転すれば (人間が運転すると思っているうちは) 自分の意思で時速何十キロメートルものスピードで移動できても、自ら歩いたり走ったりすることの意味は失われないように、そして「いらすとや」で検索すれば大抵のイラストは見つかっても、自分が絵を描く意味は失われないように、いくら AI が巧みに考えられたとしても、人間が自ら考えることの意味は失われません。むしろ自分が選んで「どこに行くか」「何を表現するか」「何を考えるか」のセンスが大事だし、その通りになっているか自分で判断できる (a思考も x思考も自分で操れる) ことが大事になるのでしょう。思考能力において自分たちよりも優れているパートナーたちと、どうやって一緒に a思考や x思考を駆使して、こうありたいという自分や社会を創っていくかが問われていくのでしょう。
みなさまのご支援、ご参加に心より感謝を申し上げます。本年もアカデミーキャンプをよろしくお願いいたします。こどもたちと一緒に、「考える」を次のレベルへ。